野生のペタシ (Le pédant sauvage)

Formerly known as 「崩壊する新建築」@はてなダイアリー

カント、レヴィナスから沢庵まで

ウチダ先生の新刊「日本辺境論」、ずいぶんと売れておるらしいな。それは結構なことだが、「当店No.1」とか書きながら品切れにしてしまうのはよくないぞ、新大阪の談書店よ。それから、売り切れになる以前にそもそもこの本を置いてないっていうのもけしからんぞ、天下茶屋の天牛堺書店。

日本辺境論 (新潮新書)

日本辺境論 (新潮新書)


さて先日「闘うレヴィ=ストロース」と一緒に購入したことをまんまとAmazonに見抜かれてしまった俺様だが、いつものように楽しく、そして時折うなりながら読んだのであった。
世の中には、「アメリカ人は○○なのに、日本人はこういう時に△△である。まったくけしからん」とか「スウェーデンでは××であるが、あきれたことに日本では**である。情けないことである」てなことをおっしゃる方々がよくいる。なんかこういうのって、気に入らんな。アメリカかどんだけエラいねん。スウェーデンがなんぼのもんじゃい。と常々思っていたものだ。だが、これは辺境人たる我々日本人が長い歴史の中で培ってきたメンタリティであり、いかんともしがたいものである。とりあえずそれは「そーいうものである」とした上で、ではその辺境人根性は何がよくてどういうところに問題があるのか、ちょっと考えてみましょうや、てな本だ。けっこう、ショッキングかも。
そもそも辺境とはどういうことか。中華思想にもとづく華夷秩序(文明国である中国が一番エラくて、その周辺の国はみんな野蛮人ばっかり)においては、日本というのは東の果てにある未開の地である。そのように当時の人々は考えていた。当の本人である日本人が本当のところどう考えていたかはわからない。でも、一応は中国に朝貢する属国であり、臣下の礼、みたいなのは取っていたらしい。本音はどうか知らないけど。ところがあまり中華から目のとどかない辺境にいるのを良いことに、わりと好き放題していたようだ。さすがにその辺の度が過ぎて、「おいあんまり調子に乗んなよ」と言われそうになったら、「すまんすまん、わしらは辺境の人間じゃけえ、その辺のきまりがようわからんのじゃ」とすっとぼけていたらしい。なんて態度が悪いんだ。
そういう地政学的な条件、つまり「辺境」という環境で長い間暮らすうち、どこか遠いとこからやってくる「正しいこと」や「世界標準」みたいなものに上手にキャッチアップすることに長けた民族になった。だから「正しいこと」は我々が作るのではなく、どこかから来るもの、という考えが体に染み付いてしまった。この辺の理屈をベースに、いつものウチダ先生の色んなお話が縦横無尽だ。面白いぞ。