野生のペタシ (Le pédant sauvage)

Formerly known as 「崩壊する新建築」@はてなダイアリー

昔アラブの偉いお坊さんが

少し前に「バール、コーヒー、イタリア人」なんていう面白そうな本を見つけて、でも手は出さなかった。
ところがこの本を、とあるイタリアンバールの書棚で発見してしまったので、ちょいと拝借することにした(バリスタMさんありがとうございます)。

バール、コーヒー、イタリア人―グローバル化もなんのその (光文社新書)

バール、コーヒー、イタリア人―グローバル化もなんのその (光文社新書)

イタリア人ってコーヒー好きなんですなあ。などというと、いやいや俺はコーヒーは好きじゃない、あんなもの飲むやつの気が知れない、などと言うやつが必ず出てくるそうだが、それぐらいにイタリア人はまた「人と同じ」というのが嫌いらしい。だからコーヒーだって、普通にエスプレッソに砂糖を入れて(これがまた死ぬほど入れる)飲む、だけでなく、マキアートだったりカプチーノだったりカフェ・ラッテだったりミルク別体にしてみたりそれが暖かかったり冷たかったり、あるいはグラッパ入れてみたり、かき氷と混ぜてみたり、なんだかんだ… と、それはもう無数のバリエーションがあるわけで、これをまた、どいつもこいつも好き勝手にばらばらな注文をする。コーヒーだけならまだしも、さらにジェラートやらカクテルやら、てなことになってくるともう収拾がつかないのだけど、バリスタはちゃんとそれを捌くことができる。いや、そういうちゃんとしたバール店員は、バリスタではなくバールマンと呼ばれ、リスペクトされているのだそうだ。へええ。バールマンって、英語ちゃうんか。別にいいけど。考えてみたらコーヒー豆だってイタリア産と違うしな。
まとにかく、日本でも最近やたらと「バール」(ないしは「バル」)が増えてきたわけだが、少なくともマクドナルド的にチェーン展開してアルバイトのお兄ちゃんを雇っているような店では、なかなか前記のような客の無茶苦茶な注文には対応しきれないだろう。マニュアルに書いてないようなことが頻発するわけだから。スターバックスなんかは、かなりのカスタマイズが可能になってはいるけど、あれだって事前に想定できる範囲内のことでしかないわけだし。
とまあ、イタリアにおけるバール文化、みたいなものを詳しく紹介し、コーヒーの歴史を紐解き、さらにグローバル化と食文化について考察する、というなかなかにスコープが広くかつ楽しい本でございました。