野生のペタシ (Le pédant sauvage)

Formerly known as 「崩壊する新建築」@はてなダイアリー

生きながら山頂に葬られ

人間と他の動物との違いは、死者を葬うこと、であるらしい。
なるほどそうかもしれない。だから、葬送儀礼というのは人類学の研究対象になるのだろうな。
で、葬儀をモチーフにした映像のアート作品を見て、「葬い」を映像で記録することに関してアーティストと文化人類学者が議論する。
『葬いとカメラ』という本にはそのワークショップやら対談やらが収録されているわけだが、正直わたくしのアタマではあんまり理解できなかった。

後の方で「話が噛み合ってない部分がある」などと言われていて、おいおい何でやねん、と思ったりもしたけど。
でも「葬儀を撮ること」の暴力性、というお題はちょっと気になったな。そもそも葬儀を撮る、という発想そのものがあんまり無かった。というか葬儀でなくても、根本的に、映像を撮ることの暴力性、なんて意識したことがない。けども、確かになんとなく暴力的なものを感じるのよな。
そういえば昨年、父親の葬式をした時に、葬儀の様子を録画したDVDを葬儀場がくれたんじゃなかったか(あるいは有料オプションだったかもしれない)。わざわざ葬式の映像を撮影するってことは、後でそれを見たりするということか。そんな需要あるんだろうか?いろいろ謎だなー。