野生のペタシ (Le pédant sauvage)

Formerly known as 「崩壊する新建築」@はてなダイアリー

博士はまだ生きてるんだな

田中角栄といえば汚職政治家であり、自民党金権政治の象徴、というのがわたくしの持っているイメージだった。
なぜか。ロッキード事件で逮捕され、有罪になっているからだ。
何せあれはわたくしが小学生の頃の話で、とにかく大人たちが角栄は悪いやっちゃ、汚い政治家や、と言っているので、そうか田中角栄っちゅうのは悪いセージカなのだな、と単純に刷り込まれていたのだ。
それでは、ロッキード事件とはいったい何なのか?
恥ずかしながらわたくしは、わりと最近までその内容について知らなかった。

新自由主義と緊縮路線でなんだか日本全体として貧乏になり格差が拡大している昨今、田中角栄という政治家が再評価されているらしい。そしてロッキード事件についても改めて検証する試みがいくつかなされているようで。
それらの内のひとつが、そのものずばりの『ロッキード』というタイトルの本だ。

そもそもなぜ今になってそんな古い事件を検証、てな話になるのかというと、どうもロッキード事件については、一般に知られている内容に辻褄の合わない話や不整合な部分があれこれあるらしい。キーパーソンとなった児玉誉士夫という人物にも謎が多いようだし。
そんなわけで、ロッキード事件についてもう一度ちゃんと紐解いてみようじゃないか、てなことになるようだ。
で、ロッキード事件に関連した検察の関係者、ジャーナリストその他諸々の人々に取材し、さらには田中角栄という人物が代議士になるあたりまで遡ってみたりしつつ事件の真相に迫るわけだ。
そこで「田中角栄は本当に有罪だったのか?」という疑問が湧いてくる。
今となっては真相はわからない。確かな証拠があるわけではないし、そもそもあまりにも昔の話だ。
それでも、この著者が提示する仮説には、一定以上の説得力があるように思える。
ジャーナリストの佐藤章氏は、検察は世論で動く、と言っていた。また、外務省のラスプーチンこと佐藤優氏は、検察による国策捜査は「時代のけじめ」をつけるためにおこなわれる、と『国家の罠』に書いていた。
そして、けっこう昔から検察はやらかしていたのだな、とも思う。でも、お腹痛いってフケたくせにまた何やらゴソゴソしてるあの野郎をちゃんとしょっ引くんだったら、まあ許してやっても良いぜ。