11月の上旬に海外出張から帰ってきた後の隔離期間中、スマホにインストールさせられたアプリから、位置情報の送信とビデオ通話への応答を毎日要求された。
これって『一九八四年』に登場するテレスクリーンじゃないか、と思ったものだ。
新型コロナウイルス感染症の流行を、中国はかなりうまく抑え込んでいるように見える。
やはりああいう強権的な国家体制でないと、パンデミックへの有効な対応はできないのではないか、などという人々が出てくる。
いやいや、パンデミックへの対応には国家を超えた国際的な情報共有と協力関係が必要ですから、という反論もある。
そう言われるとそんな気もする。日本のコロナ対応というのは素人目にも相当にグダグダだが、それでは、ということで中国的強権国家になるのはイヤだ。というか、やることなす事みんな的外れでグダグダだけども、強権的なところだけは中国にも負けない、みたいなことになりそうで心配だ。
さて、毎度毎度「最近この手のやつばっかりでうんざりだ」みたいな文句を言いながら読むのもどうかと思うが、『自由の限界』にはやっぱりエマニュエル・トッド、マルクス・ガブリエル、ユヴァル・ノア・ハラリあたりの名前が出ていて、いや本当にもう(以下略)。
ただし本書が最近のこの手のやつと違うのは、各インタビュイーの比率が同じではない、というところだ。具体的には、エマニュエル・トッドのインタビューのボリュームが最も多く、全体の三分の一程度を占めている。
それも、一本の長いインタビューではなく、異なるテーマで行われた複数のインタビューで構成されており、古いものはシャルリー・エブド事件の後(2015年)まで遡る。つまり、新型コロナ云々はあまり関係ない。というかもともと、この本のお題は「コロナ後の世界はどうなるのでしょう」ではない。サブタイトルは「世界の知性21人が問う国家と民主主義」となっている。「最近よくあるこの手の本」という雑な扱いをして(ちょっとだけ)ごめん。
トッドの古いインタビューまでかき集めて水増し(失礼)をした効果として、トッドの主張の見通しが良くなったような気がする。
たかだか200〜300ページの新書に十数人分ものインタビューを詰め込めば、そりゃ一人あたりのボリュームは減って内容が薄くなるのは致し方なかろう。本書ではトッドを思い切り依怙贔屓することで、トッドに関してだけはその問題を少しだけ解決している。
日本の少子高齢化問題には、移民の受け入れが(数少ない)有効な解決策のひとつであるが、日本人にとってそれはかなり難しいだろう、とトッドはいう。ではなぜフランスではそれが可能だったのか。
フランスの場合、誰もが身勝手で無作法。フランス人どうしでいると不愉快になります。だから移民受け入れに特段の不安はなかった。
あんたそういうこと言うから、フランス人に嫌われるんやで。