大学生の時に、量子化学の授業でベンゼンの電子状態エネルギーを分子軌道法で求める、という演習があった。
ところがこいつが解けない。確か、6元の連立方程式を解く必要があって、式は6個あるのだけども、よく見るといくつかの式は同じものになっている。だから解けない。というような事情だったような気がする。
どないせえっちゅうねん、と思っていたら、どこからともなく群論というのが出てきて、ベンゼン分子はD6hの対称性を持つから云々かんぬんで(この辺からもう何が何だかわかってない)、だからこんな感じでさらっと簡単に解ける。などという解説がなされる。
いや、納得できるかよそんなもん。いきなり群論とか言われても。そもそも量子力学とかその界隈は、とにかく手を替え品を替え、いろんな多項式やら謎の関数やらを持ち出してきては、よくわからない近似をして一丁あがり、という解決のしかたをすることがやたら多く、常にモヤっとさせられ続けてきたものだ。
その中でもどうやら群論は重要であるらしい。厳密に解くことのできるシュレーディンガー方程式などというのは、非常に限定された、ごくシンプルな系に対してのみで、ほとんどの場合は何らかの近似が必要となる。その手法して群論は強力である、と。実際、教科書で使っていたアイリングの"Quantum Chemistry"にも、ちゃんと"Group Theory"というセクションがあった。何度か読んでみたがさっぱり理解できなかったので、それ以上深追いすることは断念した。まあ群論が理解できなくとも、日常生活を送るのにさほど支障はない。
なのになぜ今また群論についての本など読もうと思ったのか。
いやあ、なんででしょうね。
講談社ブルーバックスの『ガロアの群論』は、Amazonのレビューなど見るとなかなか評判が良い。
賢い高校生なら一日で読めてしまうぐらいのボリュームで、かつ非常にわかりやすく書かれているのだそうだ。
うむ。Amazonのレビューなんてのは、あまり真に受けすぎない方が良いようだ。
レビュアーが嘘を書いている、などというつもりは無い。残念ながら世の中にいる人間のアタマの出来というのは、桁違いの開きがあるものなのだ。そんなの昔から知ってたけどもね。
代数方程式の「解の公式」は常に存在する、つまり代数的に解けるのか、というお題が、実はガロアの群論の基になっている。
何でそれが正六角形を回転させたりひっくり返したりするのと関係あるのだ、と疑問に思ったが、方程式の係数をぐりぐり入れ替えたりしているうちに、ああひょっとすると関係あるかも、という気持ちになってきた。何かを誤魔化されているような気持ちは拭えなかったけれども。
「解と係数の関係」なんていうワードを見て、数学Iのテストの出来が悪かったために補習を受けさせられていた高校一年生の夏を思い出し、何だか気持ちが滅入ってきた。
数学の体系は広大にして深遠である。その世界のほんの一部を窺い知ることすら容易ではない。生きている間にどの程度を齧ることができるのだろうと考えると絶望的な気分になる。
あまり思い詰めると病んでしまうから、しばらくは気楽な本を読んでリハビリをしよう。