これまたえらく長い時間をかけて、「芸術人類学」を読んだ。
- 作者: 中沢新一
- 出版社/メーカー: みすず書房
- 発売日: 2006/03
- メディア: 単行本
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さて読み終わって振り返ってみると、「いったい何の本だったの?」というのが正直なところ。
実際問題、色んなところで行われた講演をまとめたものが多いから、その分まあ言ってみれば書物としてはちょっと散漫というか、これといったテーマが無いように見えてしまうのかもしれない。でもちゃんと読めば、そこに一本筋の通ったテーマなりメッセージなりが見えてくるはず、多分。知らんけど。俺様の場合はその境地にまで達することはできない。これは仕方が無いのだ。中沢さんのあまりにも強靭にして融通無碍な知性に鼻面を引き回される体験に耐えて、ある高みに到達するには、やはり読み手にもそれなりの知性を要求するのだと思う。
それでもなお、前回読んだ「精霊の王」に負けないぐらいに興味深い、なんだかミステリアスでわくわくするような話が満載で面白い。この本でも頻繁に出てくる、「野生の思考」、そして数々の神話のモチーフ。特にこの神話がらみの話には、何かインスパイアされるものがあるような気がする。
神話に表れる「対称性の論理」、部分と全体と区別しない、対立する概念は、実は交換可能である。きれいは汚い、汚いはきれい。これって超ひも理論?もののサイズ、大きさをどんどん小さくしていって、計測可能な意味のある最小の長さ、プランク長までいくと、それは極限まで「長い」のと等価である、みたいな。
神話素としての、水界の動物(=多くは蛙)、水の力のコントロール、地面に足を引き摺って歩く歩行困難… 水害を鎮めることで英雄となった、足の不自由な王の伝説が古代中国になかったか?
正しいかどうかはわからん(たぶんだいたい間違ってる)、でもこんなことを色々と考えるのって、なかなか楽しいですよ。