野生のペタシ (Le pédant sauvage)

Formerly known as 「崩壊する新建築」@はてなダイアリー

よくわからんけど何だかすごい

何だか最近あまり本も読めておりませんが。
久しぶりにドラッカーでも読んでみるか、ということで「ポスト資本主義社会」など。


他のいわゆるマネジメント系の著作よりもだいぶスコープが広く、政治、経済、国家、教育にまでその射程は及ぶ。それでもまあ相変わらずドラッカー御大の慧眼には畏れ入る、というほかない。書かれたのは1990年代の初頭であるが、まさに今起こりつつあることをかなりの正確さで言い当てているんじゃなかろうか。「年金基金の膨大な資金をいかにして収奪から守るかが、一つの大きな問題である」なんて書いてあって、まったくだぜと思った。もっともこの文脈ではどちらかというと、収奪するのは企業あたりを想定しているようだが。さすがのドラッカー御大も、まさか政府が年金基金をバクチに突っ込んで目減りさせるとは思ってもみなかっただろう。世も末というわけだ。
もうひとつ。このころすでにグローバリズムという言葉はあったが、「グローバリズムは、もはや空想の産物ではない。かろうじてではあるが、地平線上に現れたところである」という状況だったのだな。グローバル化する世界で人々はトライバリズムに回帰する、トライバリズムはグローバリズムの核である、という。そして国民国家は壊れていく。国民国家の基盤となる市民性も失われていくのだと。ここで市民性とは、コミュニティとか社会とか国家に対するコミットメントのことで、「市民性のない社会は空疎である」と。で「市民性がなくとも、ナショナリズムは存在しうる。だが、市民性抜きのナショナリズムは、愛国心から排他主義へと堕す」てあたりで、おお!と思う。さらには「社会に市民性がなければ、その政治機関は、国家と呼ぼうが帝国と呼ぼうが権力となるにすぎない。国民を結びつけるものは権力だけとなる。ポスト資本主義社会という資本主義後の急激な変化と危険の時代において政治が機能しうるには、市民性の回復が不可欠である」なんて言ってて、うむむ… と唸るわけだ。
いろいろと感心しながらも、ポスト資本主義であるところの知識資本主義というものの正体、というのは実のところあまりよくわからなかったのだけどね。まあまた気が向いたら読んでみれば良い。たぶん毎回違うところでおおっ!と思うことだろう。