野生のペタシ (Le pédant sauvage)

Formerly known as 「崩壊する新建築」@はてなダイアリー

それでもやっぱり手を出さずにはいられない

いろいろ読んでみても肝心なところが何だかよくわからないのに、マルクス・ガブリエルの名前が入っていると、つい手を出してしまう。悪い癖だ。その辺が出版社側の作戦なのだろうと、わかっているのに。
それにしても『全体主義の克服』とはまた大層なタイトルだ。

しかしこれって全体主義について話してるのか?
うんまあ確かにそうかもしれんな。「ハイデガーはナチだ」って糾弾してみたり。
全体主義との関係はもひとつよくわからないけど、差異は資本主義の基盤であり、人々は差異を生み出し、それを消費するサイクルを永遠に回すことを求められている、という指摘は興味深い。そういえばこれ、『いま生きる「資本論」』でもマサルちゃん似たようなことを書いてたな。

ポストモダンは、社会主義がそんなに素晴らしいものなのかと疑って、小さな差異を見ていくことで 大きな物語を批判する。これは大きな物語がまだ生きているうちは有効性がありました。 ところが、社会主義をはじめ、大きな物語がどんどんなくなってしまった。そうしたらドゥルーズとかデリダとかフーコーを誰がいちばん熱心に読んでいると思います? 電通博報堂などの宣伝屋さんたちですよ。のっぺりした世界からいかに小さな差異を見出して、そこに価値を創り出していくか。彼らには職業上、そんな実用性があったわけですね。大きな物語がなくなった後のポストモダンというのは、新自由主義の中に漂流しちゃった観があります。

どうも話のスコープが広すぎて、頭が付いていかない。おまけに、「無限の無限」だの「超限」だの「存在者の無限に長い連鎖は無限にあります。すべての対象は無限の連鎖のなかにあり、その無限の連鎖もまた無限の連鎖のなかにあるのです」なんて、ふざけてるようにしか思えないんですけど。
ま、今回も完敗、ですかね。やれやれだぜ。