野生のペタシ (Le pédant sauvage)

Formerly known as 「崩壊する新建築」@はてなダイアリー

小賢しいことするよね

21世紀の資本』が出たのは2013年(日本語版は2014年12月)。
著者のトマ・ピケティは当時、それこそロックスターのような扱いを受けていたものだ。
あれから7年が経った今、マルクス・ガブリエルが「哲学界のロックスター」などと言われているようだ。
彼の著作には興味があるが残念ながらまだ読んだ事がない。そんな時に、マルクス・ガブリエルの名前と写真が表紙に大きく印刷された『未来への大分岐』という新書を書店で見かけた。

中身をよく見ると、マイケル・ハートマルクス・ガブリエル、ポール・メイソンのそれぞれによる、斎藤幸平との対談、じゃないか。よくあるよなあ、こういうの。「ロックスター」を客寄せパンダに使ってミスリードするやつ。エマニュエル・トッドなんかもよく使われるよね。
それでも、実際にそんな手口にあっさり引っかかる連中が後を絶たないわけだ。
そう、わたくしのように。
まあでも、乗せられといて損はないんじゃないかな。さすがはロックスター、なマルクス・ガブリエルはもちろん、他の二人の話も実に刺激的で興味深い。そして彼らとの対談、というより議論をファシリテートしていく斎藤氏の腕ってのがやはり相当なものなんじゃないかと思う。
民主主義とか資本主義という、欠陥だらけではあるけどもとりあえずは一番マシなはずのものと、何とかだましだまし付き合ってきたけども、ちょっとその不具合を見過ごせなくなってきたよね、という昨今。それらのオルタナティブって本当にあるんだろうか、というのを今日的なコンテキストで改めて考えてみた、てな話かな。
テクノロジーがそろそろ制御できなくなりそうなまでに発達してきて、いわゆるところのシンギュラリティもちょっとちらつき始めてる、という今、ポール・メイソンの語るポスト・キャピタリズムはちょっとばかしリアリティを帯びてきているように感じる。
それとやっぱりマルクス・ガブリエル、痛快よね。これだけどこもかしこもブルシットだらけで、フェイクが溢れていると、普遍的な事実とか正解なんてものは無いのか… と弱気になってしまう。そんなことはない、厳然たる事実というものは存在するし、あきらかに間違っているものはやはり間違っているのだ、と言われると、やっぱりそうですよね、と勇気づけられる。ポストモダニズムの功績は認めつつも、一方では行きすぎた相対化につながり、今のような状況になっているのだ、と説かれると、なるほどそういうことなんですね、と感心してしまう。
まあ、俺様なんてのはチョロいもんだな…
ちゃんとしたマルクス・ガブリエルの著作も読んでみるとしよう。