野生のペタシ (Le pédant sauvage)

Formerly known as 「崩壊する新建築」@はてなダイアリー

ソーシャル・ネットワーク

昨年アカウントを作ったまま放置していたFacebookを、今年の3月ごろからそれなりに使い始め、かれこれ3ヶ月ほどになる。
どうもイマイチ馴染めないな、というのが正直なところだ。
まずはあの「いいね!」とか「友達」とかいうワーディングは、わたくしの好みとは相入れないところがある。そういう気持ち悪さがひとつ。公式には、Facebookの「友達」はリアルで知っているひとに限るように、との見解であるが、まあ見ていると必ずしもそうでもないようで。いったい何がしたいのかよくわからんが、むやみやたらと友達申請をしまくって「友達」を増やしているヒトがいたりするし、見目麗しい女性などの場合はやはり友達申請がひきもきらぬようで、日々友達が増殖していく様子が見て取れる。そしてそのウォールの書き込みには得体の知れないおっさんの気持ち悪いコメントがちらほら混じっていたり。
そもそもあれはやっぱり大学の学生名簿がルーツなわけで、基本的には内輪で馴れ合うためのメディアという性格が濃いように思う。それをあまりよく知らない人どうしでやりとりすると、はたでみていてどうもしっくり来ない感じがあるのは否めないんである。
初期の頃には、「実名登録が基本のFacebookは日本では普及しにくい」と言われていたけど、実際のところどうなんだろうか。実名をさらすっていうのは、やはり東洋人には抵抗があるのだよ。なんといっても名前は呪(しゅ)なのだから。「陰陽師」でも博雅くんは羅城門のバケモンに名前を教えてしまって、あっさりやられてしまっていたじゃないか。中国だって本名を呼ぶのはとても失礼なことで、普段は字なで呼び合っていたわけだし。
とかまあ偏狭なことをグダグダ書いたけど、基本的にはみなさん好きなようにお使いになれば良いと思う。道具というものは常に、もとの設計者が想定していなかった使われ方をすることでイノベーションを起こしてきたのだから。