野生のペタシ (Le pédant sauvage)

Formerly known as 「崩壊する新建築」@はてなダイアリー

対象aとしてのラカン理論

ラカンといえば、その著作は難解を極めることで知られている。一方では、ある種の人々による熱狂的な支持を得ており、彼らは「ラカニアン」などと呼ばれているらしい。
このわたくしも、あちこちで名前は聞いて、その奇っ怪な精神分析の理論に興味は覚えるものの、著作から引用されている文章のあまりの意味不明さ、そしてまた、あの有名な(あるいは悪名高い)「シェーマL」だとか「ボロメオの輪」だとかの、独特の概念に対する理解を助けるというよりかは煙に巻こうとしてるとしか思えない図解に恐れをなして、とてもラカンには手を出せずにいたんである。少し前にも、ウチダ先生の「他者と死者」を読んでみたがやっぱりわけわからんかったし。
そんなラカンについての「日本一わかりやすいラカン入門書」である、「生き延びるためのラカン」を書店で見つけた。著者は斎藤環さんだ。朝日新聞日曜版の読書欄において、ほむらさんと並んでわたくしがもっとも信用するレビューワのひとりであるから、ここはひとつだまされたと思って。

生き延びるためのラカン (ちくま文庫)

生き延びるためのラカン (ちくま文庫)


これはもう、存外面白い本だった。とても読みやすいので、これでラカンの理論を理解できたような気になってしまう危険はあるけど。「現代の社会は、なんだかラカンの言ったことが、それこそベタな感じで現実になってきている気がする」とある。つまり、ストーカー、リストカット、ひきこもり、PTSD、おたくと腐女子、フェティシズムなどの現象は、ラカン理論の援用により理解することができるというわけだ(ラカンじゃなくてフロイトの仕事じゃないの、て部分もあるようだが)。というわけでこの本は、タフな現代社会を生きる我々が精神の安定を得るための実用書ととらえても良いんじゃないか。得体のしれないものに対して、合理的な説明をつけることは、その対象への恐怖を制圧することにつながる。そのための方法論だな。あ、だから「生き延びるための」か、なるほど。