野生のペタシ (Le pédant sauvage)

Formerly known as 「崩壊する新建築」@はてなダイアリー

とりあえずみんななかよくしよう

中島岳志さん、お名前はときどき拝見しておりました。まとまった文章を読んだのは、『「知」の挑戦 本と新聞の大学 II』で、その主張に何とも言えず深い共感を覚え、この人は要チェックだなと思っていた。そして先日の『脱グローバル論』において、その思想にまた共鳴するところがあったわけですよ。というわけで、『脱グローバル論』の副読本として『「リベラル保守」宣言』をぜひ。

「リベラル保守」宣言

「リベラル保守」宣言


本のオビに「左翼も、今の”保守”も支持できない」と嘆く人へ」とある。ああわたくしのことですね、と思うわけだが、そもそも「左翼」とか「保守」とかって何なのですか?という根本的な疑問がある。街宣車で吠えてるのが「右翼」で大学をバリケード封鎖していた(古いね)のが「左翼」で、靖国神社に参拝したがるのが「保守」とかそういう単純な話ではどうも無いようだな、というのはなんとなくわかる。で、まずはそのあたりからていねいに論じるわけですな。「保守」が守ろうとしているのは伝統、すなわち特定の集団の安定的秩序を構成する「精神のかたち」である。政治の万能性、進歩主義、設計主義的な合理主義を疑い、人間の理性や知性には限界があるということを認識しているからである。 そして「リベラル」とは、「世界観を異にする人々が、違いを越えて同意できる原理」であり「精神の成熟」である。だから「リベラル vs 保守」ではない、これらは両立し得るものであると。
なるほどね。
非常にしっくりきますな。ただし、「自らが大切にしている思想や哲学、価値を踏みにじってまで生きながらえるよりも、場合によっては、命に代えてでも大切なものを守ろうとするのが保守派の矜恃」であり、「自分の生まれた土地や伝統、そこで培われてきた歴史的・集合的価値が何者かによって脅かされたとき、保守派の人間であれば、命を懸けてその総体を保守しようと立ち向かう」(p.105)というだけの覚悟があるのかと言われると… すんません。