野生のペタシ (Le pédant sauvage)

Formerly known as 「崩壊する新建築」@はてなダイアリー

ほうはん、とお読みするのでしょうか

呉漢って誰だ?とググってみると、後漢の武将で字は子顔(しがん)、南陽郡宛県(河南省南陽市)の人で光武帝の功臣、とWikipediaに書いてある。なるほど。
ちなみに後漢は「ごかん」と読むのだと思っていたのだが、どこかで「こうかん」と読ませているのを見た。おいどっちが本当やねんと思って調べてみたら、この光武帝後漢は「ごかん」でよく、後の五代十国時代にあった後漢を区別するためにそちらを「こうかん」と読むのだそうだ。ううむ知らんかったな。いやひょっとすると高校の世界史の授業あたりで習っているかもしれんが、そんなもん覚えているわけがない。
いずれにせよ『呉漢』は後漢の武将、呉漢の話だ。どっちも「ごかん」でややこしい。まあ中国語の拼音では違うのだろうな。
と思いつつ調べてみたところ、後はHòuで呉はWúだった。呉漢はあの武漢と同じ発音ということか。では中国人は光武帝後漢五代十国後漢をどう読み分けているのだろう、などと疑問はとどまるところを知らないのだが、もうキリが無いのでその辺のことはいったん忘れるとして。

三国志』にせよ『項羽と劉邦』にせよ、あの手のお話はだいたいが名将・勇将・猛将の武勇伝がてんこ盛りで、ちょっとばかしげんなりさせられるものだ。しかしながらこの洪武帝の功臣・呉漢の物語は少しばかり趣を異にする。
貧しい小作農から、どういうわけか周囲のいろんな人々から才能を見出され、取り立てられて自身も成長しつつまた出世していくという物語は、それだけで面白い。加えて、呉漢のキャラクターというのがまた独特である。とりたてて勇猛とか頭脳明晰とか稀代の戦略家とかいうわけではない。その手の能力は、なぜか周りに集まってくる奇才達にアウトソースしている。『三国志』なんかでは劉備玄徳が「徳の将軍」なんて言われていて、どこが?とわたくしなどは思ってしまう。しかし呉漢をそう呼ぶのなら、納得できる。
その徳は「寛容」ということもできるのかもしれないが、どちらかというと「諦念」の方が近い気がする。それは呉漢がずっと若い頃から農業をやってきたことによるものだ。農業というのは、自分がコントロールできないファクターが多く、本人の努力とは全く別のところで作用する力で動かされる不条理が常について回る。そういうものを受け入れることによって身につく寛容であったりレジリエンスであったり、また洞察というのがあるのだろうな、と思う。
そんなことを感じながら読むこの小説は、なんだか不思議な手触りがあった。これは呉漢という人物の特性によるのか、あるいは宮城谷昌光という作家のテイストなのか。
次は『劉邦』あたりを司馬遼太郎の『項羽と劉邦』と読み比べてみたりするとその辺も見えてきて面白かったりするんじゃなかろうか、と思っているところだ。