野生のペタシ (Le pédant sauvage)

Formerly known as 「崩壊する新建築」@はてなダイアリー

あれは2ヶ月かかったし

過去に何度かフーコーの本を読もうとしたことがある。
『知への意志』は2回読んだ。『言葉と物』も数ヶ月かけて読んだ。
どれもまったく理解できなかった。
フーコーの解説本は何冊か読んでいて、それぞれを読めば、へーそんなもんなのかと思うのだが実際にフーコーの著作を読んでみると1ミリも理解できない。ちなみに『知の考古学』が文庫化されていたのでついうっかり買ってしまったが、そのまま手を出せずにかれこれ7〜8年ほど経つ。
そんな始末なのだからいい加減あきらめれば良いのに、なぜかフーコー関連は妙に気になって、ついうっかり手を出しては火傷する。その繰り返しだ。
今回は『今を生きる思想』というシリーズのフーコー解説本に手を出してみた。紙の本にして100ページ強なので、まあ何とかなるだろう、と。

いやー甘かったな。解説本でここまで理解できなかったのもわりと珍しいかもしれない。
しかし、なぜフーコーが理解できなかったのか、少しわかった気がした。
フーコーは、設定したお題に対して、何らかの理論的な見通しや方針を示すわけではない、のだそうだ。
ただ、我々が「なぜこのような状況におかれているのか」「何に我慢できないのか」「何を耐え難いと感じているのか」そして、「それをもたらす社会と思想のしくみやなりたちとはいかなるものか」を提示しているのだと。
そして、フーコーの語る「権力」とは、国家権力のような大きなものではなく(いやそういうのもあると思うけどな)、個人どうしの関係性の中に現れる力関係であり、つまりミクロ権力論なんだそうで。
ふむ。で、どないせえっちゅうねん、という話だ。
なるほどそうですか。と思うが、それがわかったところでフーコーが理解できるようになるようには、あまり思えない。
『知への意志』に再挑戦するか。寝かしていた『知の考古学』に手を出すか。あるいはいっそのこと『監獄の誕生』ぐらいに挑戦するか。
さてさて。