野生のペタシ (Le pédant sauvage)

Formerly known as 「崩壊する新建築」@はてなダイアリー

おっちゃんに曰と日の区別はつかんよね

子曰く、云々かんぬん。というのをどこかで読んだり聞いたりしたことがない人はあまりいないだろう。
そう、『論語』である。むかし中国に孔子という偉い人がいて、その人がいろいろと良いことを言っていたので、それをまとめた書物、ということになっている。
孔子、の「子」は先生、ぐらいの意味で、つまり孔先生、という尊称だ。
本当の名前は孔丘、字は仲尼。
ではその孔丘仲尼とは、いったいいかなる人物で、何をしたのか、というと、実はわたくしあまりよく知らない。一応、儒教の始祖ということになっている。では儒教とは何か、というと「お父さんお母さんを大切にしよう」というモーターボート連合会的な胡散臭いものしか思い浮かばない。
実は以前に『孔子伝』を読んだのだが、ほとんど内容を理解できなかったという痛ましい事件がある。

我らが宮城谷せんせいなら、おそらく大丈夫だろう、ということで『孔丘』上下巻を読んでみたわけだ。

いや実に面白い。極力史実を尊重し、足りない部分は作家の想像力で補完しつつも、そこが過剰になりすぎないようにという、いつものストイックなスタイルに痺れる。
いわゆる「聖人君子」として神格化されている孔子が、わりとすぐにイラついたり、けっこう大事なところで判断を誤ったり、そして妻や息子との関係はあまり上手く行ってなかったり、という人間臭いところが描かれ、その辺のリアリティが良い。
それにしても、孔子が弟子たちに教えていた「礼法」というのが何だったのか、正直もひとつよくわからない。葬式の儀礼、ということであるが、さすがにそれだけではなかろう。それだけのためにあんなに弟子は集まらんでしょうよ。
この『孔丘』を読んだあとなら、あらためて『孔子伝』にトライしてみたら、あるいは… いややっぱり無理かな。