野生のペタシ (Le pédant sauvage)

Formerly known as 「崩壊する新建築」@はてなダイアリー

ゴルトベルク変奏曲と進化の論理

動的平衡2」もまた、ずっと気になっていた一冊だ。

動的平衡2 生命は自由になれるのか

動的平衡2 生命は自由になれるのか


副題は「生命は自由になれるのか」だ。が、一部はそのテーマとは外れて、ちょっと小ネタ集っぽいような… と思ったらやはり、いくつかの雑誌や新聞に発表した原稿に加筆・修正し、再構成したものらしい。しかし、それはこの本の魅力を損なうものではない。やはり相変わらず、興味深いネタを、スムーズでリリカルな文章で料理した、魅力的な一冊だと思う。
生命にとっての唯一無二の目的は、自己を複製していくこと。生物は、自身のコピーをできるだけ増やしていこうとする利己的な遺伝子の乗り物にすぎない、とドーキンスは主張した。それはおそらく間違いではない。が、そのような個体が集まって形成される、より大きな単位、たとえばある生態系なんかを全体的に観た場合、それだけでは説明できない部分がありそうだ。それはドーキンスも気づいていたので、遺伝子のアナロジーで「ミーム」という概念を導入してそれを説明しようとした。しかし何でもかんでも遺伝子で説明しようとするのは無理がある。だから最近では「遺伝子以外の何が生命を動かしているか」を考えるエピジェネティクスなんてものが出てきているわけだ。
遺伝子は楽譜にすぎない。それを誰がどのように演奏するかによって、違う音楽になる。うむ、さすが福岡ハカセ、うまいこと言いますね。これがつまり「生命は自由である」ということであり、ドーキンスの「生物は遺伝子の乗り物にすぎない」に対するアンチテーゼとも言えるんではないか。
そして、多様性について。あえて自身の一部を少しずつ破壊し、棄てることにより、システムの増大したエントロピーを排出し、恒常性を保つことができる。これが動的平衡ということ。そしてシステムの多様性こそが、この動的平衡を強靭にしているのだ。というのを読んで、おお、と思った。最近よく言われる「生物多様性」の重要性の本質はここにある。なるほど。
というわけで、ダーウィニズムやドーキンスの「遺伝子原理主義」の次に来るもの。「生物学者たちはいま何を考えているのか」についてのお話でございました。