野生のペタシ (Le pédant sauvage)

Formerly known as 「崩壊する新建築」@はてなダイアリー

少子化対策は舞踏会?

エマニュエル・トッドで読み解く世界史の深層』なんていう本を鹿島茂せんせが書いていらっしゃる。この本を書店で見かけた時にまず、鹿島せんせ、あんたフランス文学者でしょ。トッドがまるで予言者であるかのようにもてはやされてるからってそんなもんネタにして、ちょっと調子乗り過ぎなんじゃないの、などと、 失礼極まりない感想を持ってしまった。ごめんなさい。調子乗り過ぎなのは俺様の方でした。

新書で読めるトッドの本ってそんなに多くない。しかも、ほとんどがインタビューとか講演の記録みたいなもんだ。そういう意味で本当に「トッドが書いた本」といえるのは、わたくしの知る限りでは『シャルリとは誰か?』ぐらいのはずだ。そしてこの本がまた難しい。だから新書なんぞになってない、トッドのガチな著作てことになると専門的すぎてとても読めないと思う。まあ大抵の人はそうだろう。その割には(ちゃんと読んでないクセに)むやみにトッドを持ち上げたり、あるいは逆に的外れな批判をしてみたり、という連中が多い、と著者は憤り、ではまず私が解説して進ぜよう、てなことになったわけである。
トッドは、成人した子が親と同居するか、そして相続が兄弟に対して平等に行われるかどうか、という2つのファクターの組み合わせで「家族システム」を大きく4つに分類した。例えば日本の場合は「直系家族」だ。ある社会のイデオロギーや文化は、この家族類型と強い相関がある。そしていずれの社会においても、少子化は女性の識字率の上昇によってもたらされる。というのがトッドの理論だ。
核家族化が進んでいる日本は、もう「直系家族」型に分類できないんじゃないの?と思ってしまうがそうではないらしい。この家族類型はもっと根強く、集団の無意識に影響を与えるものであり、そのイデオロギーは個人と国家の間にある「中間団体」、すなわち会社とか学校とか宗教団体とか町内会その他諸々に表出してくるものであるらしい。ちなみに、日本の「直系家族」イデオロギーをキモい感じで体現しているのがあの日本会議である、とも指摘されている。なるほど。あ、この著者は別に「キモい」とは言ってませんけどね。
このトッド理論を援用し、世界史や日本史の深層を探ってみましょう、というのが本書の試みなわけで、なるほどそういうことであればフランス文学者である著者こそが適役ということになりますですね。そういう観点で「次男・三男が歴史を動かす」というのがひとつの重要なポイントだし、それ以上に面白いなと思ったのは、「文学者とは葛藤を自己表現として解決しようとする者である」という考え方だ。
たとえば「絶対核家族」のアメリカにおいては、「直系家族」のドイツ系、スウェーデンユダヤ系の移民はイデオロギーの違いにより差別される一方で、その第二世代は学校教育により「絶対核家族」の価値観を身につけていく。そしてこの第二世代は「直系家族」の価値観を引きずる親、つまり移民第一世代との間で葛藤が絶えない。そこで花開いたのが移民文学である。
また、日本の直系家族においては家による支配原理が隅々にまで及んでおり、鬱陶しい「見えざる視線による相互監視」(=「世間」)が強い。これに対する反発の系譜が日本の近代文学である、とか。
こういう言説はやはり、文学者ならでは、じゃなかろうか。
そんな感じで、大変興味深く読みました。面白かった。馬鹿にしててごめんなさい。